まいてぃのにっき!

絶起、落単、留年

読まないでください

「あのさ、いじめって何だと思う?」

「いじめ〜?」

「そう?いじめ」

「そうやなあ、いじめってのは皺だな」

「皺?」

「そう。関係の皺」

「どういうこと?」

「つまりな、人間関係ってのはみんなででっかいシーツの端っこを持って歩いてるようなもんなんや。だけど時々、そのシーツに皺がよってしまうんよ。その皺の寄ったところを持っている奴が、いじめられるねん」

俺の頭の中には木綿の白いシーツを持った集団が浮かぶ。マヌケな姿だ。

「相変わらずユニークな説だな」

「シーツはピンと張ってなきゃいけないわけね?」

「そうそう。だからみんな突っ張って力を入れてシーツを持つんよ。だけど、あんまり力を入れ過ぎると、自分がシーツを引っ張りすぎてみんなの手が離れてしまう」

「ダレていると皺が寄ってたるんでしまう。そやけど、シーツを持って歩くというのはすごく難しいさかい、どこかに皺は寄るもんなのよ。でな、当然の事ながら、力の弱い奴のところに皺は寄りがちやねん」

なるほどな、と思う。

「でもさ、なんでみんなシーツなんか持って歩いてるの?」

「知らん。誰かが教えたんやろ、これ持って歩きなさいって」

「シーツなんか持ってたら歩きにくいじゃん」

「そうや、おっしゃる通り。けど、持ってると楽やねん。」

「なんで?」

「持ってる方が固まりやすいやろ?だからみんなシーツに寄ってくるんよ。もう入る余地がないほど人が群がってるシーツに、無理矢理ネジ入って、片手でもいいからシーツを掴んでいたいって思うんよ」

「なんか、うっとおしい」

「ほんまにうっとおしい。うっとおしいから、シーツを切り裂きたくなる奴も出てくる」

シーツをナイフで切り裂いている少年のイメージがパッと浮かぶ。

「それが犯罪者になると?」

「そうは断言できんけどな」

 

みたいな、頭の中で2つの人格に会話させる事で暇を潰しています。なう。

今日は学校を休んだので、ほんとに、あの、家で、1人で、その、あの、その…

本を読んだりTwitterしたりして時間潰してたけどもうそろ限界ですこれでまだ5時半だなんて信じられない俺はもう暇すぎて死んでしまう誰か助けてください助けて助けてなあて笑

 

(>_<)☆

おい!ダラダラ書くぞ!w

今日、久しぶりに学校に行った。

元々サボりがちだったのもあるが(前期4単位GPA0.22←サボりがちどころじゃなくね?死ね)、今週は学園祭だったのである。陽のキャラさん達は皆でワイワイやったりするんだろうが俺はTwitterに没頭していることからもわかるように陰の者、学祭などというものにはまるで縁がない。一応ギリギリ形だけ、名前は載っているだけのサークルが店を出したらしいがもちろん行かなかった。というか幽霊部員の俺が行ったところで誰?何こいつ?不審者?となって終わるだけであろう。まあ、元々行かないつもりであった。いや、行きたかったが行けなかった。陰キャというのは、時に辛いものである。

学園祭の直前、皆さんご存知ハロウィンという一大イベントがあった。俺は陰キャだから普通に考えればハロウィンとは無縁だが、今年は違った。思えば小学生の頃からハロウィンなどというカーモンベイベーアメリカイベントに参加したことがなかった。陰陽の仕分けは、幼少期から始まっていた、というわけだ。陽の小学生は、「トリックオアトリート!」などとバカげた決まり文句を叫び、お菓子をもらう。俺のような陰気小学生は、その声を聞きながら「チッ」と大きめに舌打ちをしながら家で1人で本を読んだりして過ごす。そんなクソイベである。

今年くらいは、と思った。せっかく渋谷が近いのである(俺の家は池袋)、このチャンスを逃すわけにはいかない。幸い親も出張していて、変てこな格好で出かけようが、夜帰ってこまいが、咎められない状況であった。真のインキャなので友達などというものはもちろん存在しない、1人で向かった。渋ハロ、ぼっち参戦。

少しの望みをかけてFFに声をかけてみたりしたが、恋愛脳と5秒くらい喋っただけである。他は全員無視。40くらいいいねついた気がするけどなあ、冷たいなあ。

そのあとは皆さんの知る通りだが、1人で半袖で10/31の夜を歩き回っていた男である(写真は知らない外人に撮ってもらった)。翌日熱を出し、その熱は今朝まで続いた。

しめた、と思った。学園祭に行かなかった理由。友達がいないから、なんてあまりにも惨めすぎる。風邪ひいてて行けなかったぽよ〜(>_<)で通るではないか!俺は歓喜した。まあ心配してくれた人とか看病してくれた人にはめちゃめちゃ申し訳ないけど、熱を出したことはちょっとだけ嬉しかった。まあその「ぽよ〜(>_<)」を報告する友達すらいないのが盲点だったが、いいのだ。これは自己満で、いいのである。心にしまってた方が胸がときめく事だって、あるのだ。

まあなんやかんや今日から学校が始まって、久しぶりに電車に乗った。学校に行かなさすぎて定期が切れていたので更新もした。鼻詰まりが久しぶりに治ったので大気に対する嫌悪感がすごかった。都会の空気はこんなに汚いのかと。隣のおっさん加齢臭すごいなとか、前のババア香水臭いなとか、あの人の洗剤いい匂いだな、何使ってるのか聞こうかな、とか(聞かないけど)、外気を満喫した。

電車の中にはそれはもう色々な人がいた。めっちゃ童顔なのにハゲてるおっさん、乗ってすぐドアの横に立つインド人、大声でビデオ通話する中国人、踊り狂うティックトッカー、やたら髪の長いおっさん。ここはおっさん専用列車か?すみません、私ティーンエイジャーなんです、下ろしてください。叫んだ(叫んでない)。

通いなれたはずの道になぜか迷い、その事に何故か少し顔をほころばせ、突然尿意を催し、腹が減り、コンビニに行き、公園で食べ、案の定遅刻した。だから陰キャなんだよお前、自分に言い聞かせながら。陽の人たちはな、早めに来て授業が始まる前に皆で語り合ったりしているものだ、と。でも俺はあいにくそんなものに興味はない。これは強がりではなく本気なのだが、脳ミソ空っぽの金髪どもとペラペラ戯言ぬかしてるのと公園で風に吹かれてサンドイッチをつまむの、果たしてどちらが有意義なのか?答えは言うまでもなく、どちらも生産性のないゴミ行為です。ごめんなさい。

まあ遅刻してでもね、ちゃんと行きましたよ私は。留年だけは免れたいと、てか留年したら間違いなく退学させられるので死ぬ気で行きました。

Fランなので授業内容はカッスカスだし周りのやつもチャランポランなのでボケーッとしてても高校の内容がわかってれば答えられるようなものである。しかし。

文が読めない。文字を追う事はできるが何も理解ができなかった。書いてあることは日本語だし、内容もさして難しくはない。むしろ俺が元から知っているような分野だった、それなのに。

頭が、回らなかった。初めてだった、ここまで重度のは。自分が今どこで何をしているのかもわからなくなってきて、発狂しそうだった。今にも叫びながら教室を飛び出してしまいたいくらいの、そしてそのまま車に轢かれて死んでしまいたいくらいの。ブランクか?ブランクのせいなのか?俺が学校でものを考える行為をサボり続けたからなのか?たかだか2年くらいサボっただけでこうなるのか?必死で考えたが何もわからず、どんどんパニックに陥っていった。とりあえず何か書き出せば落ち着くかとペンを握ってみたが、文字も書けない。そういえばしばらく字を書いていなかったな、などと思い返しながらガリガリ書き出したが何の生産性もなく、俺の努力は無下に終わった。幸い当てられる事はなかったし、友達もいないから周囲にバレることもなかった。そのまま授業が終わるのを待ち、教室を出た。

そうだ、俺は出席点を稼ぎにきたんだ。別にこの程度の内容、自分でやればいいじゃないかと。まあそしたら何のために大学行っているんだとなるけどそんな事考え出したらキリがないし何より精神衛生上よくない。自分を褒めて褒めて褒めまくらなければ生きていけなかった。だから今日はきちんと学校に行った自分を褒めて、ちゃんと帰ってきた自分を褒めて、ちゃんと寝る自分を褒めるつもりだったが全然寝ないでこんなくだらない駄文を書き連ねてるのでちっとも偉くない。明日はもう少しマシに人間ができるといいな。おわり。

 

怒り

中学生の頃、俺は攻撃的な人間だった。

竹を割ったような性格で物事をはっきり言う、そういう奴だった。今でももちろんそうである。嫌な事は嫌だと言うし、間違っていると思った事は間違っていると言う。

ただし、今はニコニコしながら「イヤなんだけどな〜」と言う。それはなるべく相手と対立しないためにだ。「ごめんね」と謝りながら「イヤ」と言う。だけど昔は違った。怒って「イヤだ」と主張した。強くイヤだと主張した。なにかこう怒りのパワーにまかせて「イヤだ」って言わないと、「イヤだ」って主張できなかったからだ。

なぜだろう。俺は主張するとき、いつも怒りのパワーが必要だった。自分を主張するときになぜか怒っていないと力が出なかった。だから、自己主張するときはいつも怒っていた。そういう人、たまにいるでしょう?俺はそういう奴だった。同じことを笑いながらできるはずなのに、俺は怒っていた。そういう自己主張しかできなかった。弱かったからだと思う。

もっと前、小学生の頃は、自己主張すらできなかった。だからいつも苦しかった。

思っている事が伝えられない。思っていることを言ったらバカにされると思った。「お前にそんなことができるのか?」って言われるのが怖くて「やりたい」が言えなかった。やってみたいな、って思うことでも「やりたい」って言えなかった。ほしくても「ほしい」って言えなかった。「ほしい」なんて言ったら、身の程知らずってバカにされそうで怖かった。「好きになって」って言えなかった。そんな事言ったら「ごめん」って謝られそうで怖かった。だから「俺は好きだけど、別に好かれなくても平気」みたいな顔をしていた。本当の気持ちがいつも言えない。自信がないから。

そういう時期を経て、勉強やら部活やらでちょっとだけ自信をつけたとき、俺は怒って自己主張する人になっていた。強い自分に憧れていたけど実はまだ弱虫だったんだろう。だから自己主張するときに相手を威嚇するようにしないとできなかったんだと思う。いつも、何かを主張するときは攻撃的で、それが結構カッコいいと錯覚していた。

人から攻撃されると過剰に反応した。人から何かを言われるのが嫌で嫌でたまらなかった。人の意見が全く聞けなかった。よもや非難されたりしたらその100倍の言葉を費やして相手をやり込めようとした。アドバイスされるのも嫌いだった。「ここはこうした方がいいんじゃない?」と言われると「自分でもわかってたけど、なかなかできなくて」みたいな事を言った。

そして心の中で「お前に言われなくてもわかってんだよ」と呟いている。すごく嫌な奴だった。ダメな自分を認めることがちっともできなかった。他人には攻撃的なくせに、他者の自分への攻撃は許さなかった。攻撃を仕掛けてくる人とは徹底的にやりあった。言葉で、時には力で。そうしないと自分の心が保てなかった。

徹底的にやりあわないと、相手の言動がいつまでも心にオリのように残る。相手の事が気になってたまらない。腹が立ってたまらない。そのことをいつまでも忘れられない。1日に何回も相手の顔や言葉を思い出す。そして思い出すと胸のあたりがカッと熱くなる。

まったく別のことをしている時でも、自分を非難したり自分のやり方に文句を言った相手の事をふいに思い出す。そして顔が火照ってくる。そうすると気分がざわざわして、なんだか集中力がなくなってしまう。一晩寝ても忘れない。つまらない事でも相手ときちんと決着をつけるまで忘れられない。

だから俺はなるべく決着をつけた。相手を呼び出して「この間のことなんだけど」と言って自分の気持ちを伝え、その上で自分も悪かったと伝え、相手からの謝罪を受けないと納得できなかった。だけど、いつもその時にものすごく巧妙に相手の弱みをついて相手を傷つけて自分を慰めたりしていた。

これが中学生の俺だった。楽しいこともいっぱいあったけど、なんだかしんどかった。それはいつも誰かの言葉に傷ついて、そして腹を立てて、憤慨して、自分を見失っていたからだと思う。

 

俺が心の安定を手に入れたのは(手に入れてるか?)、ある夢だった。

夢のお告げ…なんて書くと、非科学的な怪しい奴だと思われるかもしれないけど、夢は結局自分なのだ。自分の頭の中で、ポケットに入れたイヤホンのように絡まった感情やら体験やらが絡まり合ってそれを夢という形で見せてくれているだけなのだ。だから、誤解を恐れずに書いてしまおう。

人生も何もかも嫌になって、1ヶ月くらい家を飛び出した時に公園で見た夢だ。夢の中に少し年上に見える青年が登場する、その青年がこんなことを言う。

「やってくるものを受け止めながら手放していけばいいんだよ。どんなものでも自分にやってくるものはプレゼントだ。受け止めて手放せばいい。そうしていくと、受け止めた衝撃で流れが起こって自然にあるべき方に流れていく。自分でありながら、でも流されろ。自分の外から来るものは、全部、プレゼントだ」

目が覚めて、なるほどなあ、と思った。その青年は他にもこんな事を言っていた。

「どんな考え方もあっていい。間違いってのはない。どんな考え方も世界にグラデーションを作るためにある。どんな考え方も世界に濃淡を与え、世界を立体にする。だからどんな考え方も世界を描く点描の点だ」

おそらく寝る前にリチャード・バックのイリュージョンを読んだ影響もあったかもしれない。いつか書くが俺の世界で1番好きな本である。(暇なら読んでね)

 

人によっては、「人の意見を聞きすぎると潰される」と言う。だけれども、やってくるものが全てプレゼントだとしたら、そして俺がいつも自分の中心に戻ってこれれば、これらの意見は俺をどこかへ導いているはずなのだ。そして、俺は世界の濃淡を作る点描の点の、その1つ1つに日々、触れているのだ。その点が描く世界とはどんな世界なのだろう。

まだ、近視気味の俺にはよく見えない。

 

 

 

 

 

 

 

最後のまとめかっこよくね?

 

 

 

 

 

わかる🤚

 

 

 

 

 

 

 

ではまた。

 

代官山

こんにちは!まいてぃ☆ですっ☆

マックに650円で5時間くらい居座る予定です!

無料で充電しながら無料Wi-Fiを使ってこの記事を書いています。

 

この前、某フォロワーさんと、明日暇?会おう!ってなって。どうせなら始発で行こう!ウェイ!ってなって。始発で渋谷行ったんですよね。(正確には少し遅刻したので始発ではない)(ごめんなさい)

 

早朝の渋谷は想像を絶する汚さで、道には吐瀉物、なんかのゴミ、カラス、虫、泥酔したオッサン、DQN、変なラッパー、ともう限界のオンパレードという感じでした。まあ渋谷に用があるわけではないのでそのまま歩いて竹下通りに向かいました。その時の写真がこれです。

f:id:mightys_diary:20181002111052j:image

昼間は満員電車かってくらい人でごった返しているのでこれはかなり貴重な体験なのでは?と勝手に思っています。よく見てみると意外と田舎くさくて、竹下通りって意外とこんなもんか〜とか思いました(殺してください)。

 

で、まあ原宿でレインボーなんちゃらわたあめみたいなの食べたりして、そのあと代官山に行ったんですよね。代官山には以前チラッと回っただけだったのでほぼはじめての状態で、結構緊張してたんですけど(かわいい)、意外と普通の街でした。おしゃれはおしゃれなんだけど、想像ほど敷居が高い感じではなく、生活圏に溶け込んでいるというか、程よかったです。まあ場所によってはそうでもないのかもしれませんが。

2人ともほぼ徹夜の状態だったのでカフェのテラスで爆睡かましたり色々ありましたが(ごめんなさい)、結論、楽しかったですよ。

オシャレなカフェにも入れましたし、一通り回れたと思います。まあ、次回はもう少しお店に入ってみたい、くらいです。概観はつかめました。

 

とにかく代官山を、歩いてみてほしいです。

足がだるくなったらカフェでお茶をして、また歩いて。歩くのが楽しい街だと思います。

 

その時も話したんですが、渋谷とあんなに距離が近いのに小綺麗で、道には吐瀉物なんかもちろんなくて、いい所だと思いましたよ。優等生と不良の兄弟みたいな。(何言ってんの?)

 

よくわかんなくなったのでこの辺でおわります(ごめん)。ではまた。

 

 

追記:いま暇なんだけど誰か焼肉奢って?

将来の夢

17歳の時、1番嫌いな年齢は「18歳」だった。

18歳にはなりたくないなあと頑なに思っていた。だって、18歳はもう大人なのだ。17歳は少年で通用したけど、18歳は男だと思った。子供として生きる最後の年。18歳になって、大人の仲間入りをしたらもう子供のように純粋に大人を憎めない。自分の純潔さが失われるような気がした。18歳ってすげえダサいと思ってた。

だから18歳の誕生日はちっとも嬉しくなかった。あー、なんだ俺ももう大人かよ、って思った。つまんね〜な〜って。

 

17歳の頃、俺は自分の高校のクラス担任が嫌いだった。

俺にはその先生の小悪党ぶりが許せなかった。タバコのヤニ臭くて、服装がめちゃくちゃダサくて、フケだらけで、常識だけを優先して、薄っぺらで、尊敬できるところが全くないって思っていた。

ある時、クラスの赤い羽根だかなんだかの募金したお金の入った箱が盗まれた。学校側もマヌケである。開校以来のミステリーと騒がれた。

すると担任がホームルームで言ったのだ。

「みんな目をつぶりなさい。そして、盗んだものは手を挙げなさい。」

俺はあきれた。そんなこと言ったって手をあげるバカがいるか、と思っていた。もちろん誰も手をあげない。すると担任はこう諭したのだ。

「実は先生たちは、誰が盗みに来るのかを物陰に隠れて見ていたのだ。だから犯人を知っているのだ。いいか、自分から名乗り出たら穏便に済ませてやろう。だが、もし自ら名乗らなければ反省の色なしとして厳重に処罰しなければならない。だから、どうか自分から名乗り出てほしい。」

俺はこれを聞いて脱力した。アホか。嘘つくのもいい加減にせえよ。それにもし本当に隠れて見ていたなら、盗もうとした時に止めるのが教師だろうが。あーもうほとほと大人というのは汚いと思った。こいつら腐ってる。こんな嘘を、まるで正義と錯覚して生徒に話す大人はどうかしている。なんてえげつないんだと思った。

17歳の俺はこの担任の嘘にかなり傷つき絶望していた。17歳っていうのはそういう年齢だった。担任は俺ではない。別の人格だ。でも、担任がズル賢いことをすると、それをまるで自分のことかのように恥に感じて、怒り、吐き、絶望してしまう。

他者のずるさや醜さにいつも翻弄されて、腹を立てて、自分が苦しくてたまらない。醜い大人、えげつない大人、愚かな大人、小ずるい大人を見ると、自分の心が苛まれて荒れ狂ってしまう。人は人、自分は自分なのに、17歳の頃はどういうわけか大人の言動が許せなかった。大人たちの態度に傷つき、怒り、反発した。全て他人事なのに。

 

17歳の頃、よく息を止めて死ねるかどうか実験していた。

なんというバカなことをしていたのだろう。でも、やっていた。布団の中に潜って息を止めて、そのまま死ぬまで息を止めていようと思うのだけれど、死ななかった。死ぬことにちょっとだけ憧れていた。俺が死んだら誰が悲しんで泣いてくれるかよく空想していた。

 

ものすごく人間の体の中を見てみたかった。

死体を見たいと思っていた。なぜなのかわからない。俺は思春期の頃はずっと、人間の体の中がどうなっているのか気になっていた。手術を見てみたかった。内臓はどんな風に詰まっているのか知りたかった。なんで内臓を詰めたまま自分が動き回っているのか不思議だった。

 

どうして俺は俺なんだろう。なんで俺は生きているんだろう。考えるとクラクラするけど、どうしても知りたいと思った。俺の生きている意味を知りたかった。誰かに「お前はこれこれこういう理由で生きているのだ」と説明して欲しかった。この世の真理を知りたい。なぜ俺が生まれたのか教えてほしい。そしたら頑張れると思った。俺の人生の意味は混沌としていた。自分が何者なのかさっぱりわからなかった。

 

何故かタバコは吸わなかったが、酒は飲んだ。なんとなくいつも寂しかった。よく1人だった。あの頃、楽しかったけど俺は17歳の頃にはもう戻りたくない。自意識が強すぎて生きるのが苦しかった。ちょっとしたことにグサグサ傷ついて、落ち込んで、恥ずかしがって、悩んで、本当にめんどくさい。あんな時代はもうごめんだと思う。

 

まだそれから2年しか経っていないけれど、今では、「人は人だから」と思える。状況の中でどう行動するかは個人の自由だ、と冷静に傍観できる。他人が自分に侵入してきて苦しむことはなくなった。だけど、17歳の頃の俺は、そうじゃなかった。「結局、大人は自分さえよければ他人はどうなってもいいんだ」って思うと、それだけで苦しくて絶望してた。

自分とか親とか、自分と社会との境界線が曖昧で、周りの人間が理不尽なことをすると、その理不尽さに自分が押しつぶされていた。そして、苦しんでた。それなのに、

「バカみたい。なんであんたは他人の事でそんなに怒るのよ」

って母親に言われて、殺してやりたいほど憎んだことがある。(まあ今でも憎んでいることに変わりはないのだけれど)。

虚しくて、悔しくて、どうにでもなれ、と思って、

「ああ、俺はただ生かされているだけだ」

そう思うことで自分の心をしずめてた。

 

だけど、俺は幸運なことに、かっこいい大人にもたくさん出会った。

きちんと自分に落とし前をつけて生きているような大人の男や女とも、思春期の頃に出会った。その人たちが、この社会のものすごい理不尽や、とてつもない不合理と体を張って闘っているのを見せてもらった。すげえって思った。マジだぜこいつら、ってビビった。

その頃から、つまんないことで自分が絶望しちゃいけない、って思ったような気がする。

俺がくだらない大人に絶望して拗ねてても、世の中をナメても、結局はそれは何の意味もない。優しい奴ほど図太くならなくちゃいけないんだな、ってそう思った。

 

子供の頃は親の背中を見て育ってきたけど、思春期以降は赤の他人の背中を見て生きてきた。それは現実で出会った人だけでなく、テレビや伝記で読んだ偉人だったり、はたまた小説や映画の登場人物だったりした。他人の背中に育てられて、ここまできたのだ。

 

それだけたくさんの大人に出会って色々感じたというのに、今の俺としては、将来の夢、といったものがまるでない。小学生の頃からそうだった。学校の宿題で「将来の夢」についての作文が毎年のように課されていたが、いつも期限ギリギリまで引き伸ばしてはテキトーな事を書いていた。サッカー選手、とか。もちろんなれるわけもなければ、なりたくもなかった。なりたいものが、なかった。

 

俺は時々夜中に1人で自己分析を始めたりする気持ち悪い人間だが、やっぱり、根っからのクズなんだろうなと思った。働きたくない。でも欲しいものは欲しい。それは物だったり人だったり地位だったりお金だったりするけれど、自分の時間や労力を削るまでのエネルギーがなかった。端的に言うと無気力。それは今でも変わらない。

 

だから、結論、将来の夢は今のところない。俺の心を揺さぶる情熱が現れるまで、今のようにダラダラと生きていこうと思う。

まだ少し書き足りないくらいだが、文が乱れてきたので今回はこの辺で終わろうと思う。長々とありがとうございました。ではまた。

高校受験

中学三年生のときの僕は地元の仲のいい友達と一緒に公立の高校に行きたかった。遊んでばかりいてまるで課題をしなかったので、成績もよくなかった。

バスで学校に通うのもめんどくさいから絶対に嫌だった。

僕には立派な愛車の「チャリンコ」があり、それで通える範囲外に学校があるなんてありえないと思っていた。

そういうことを親に順序だてて言える子供だったらよかったんだけれど、当時の僕は親の言うことにああだこうだ意見するくらいなら、それで親を怒らせるくらいだったら、黙って受けたほうがいいと思うような弱気な少年だった。(もしくはそういう事に寛容な親であればよかった。)

両親は、特に母は僕のあまりの勉強のしなさに動揺して、今ならまだ学力に余裕がありそうだから、行けるだけ上の私立校に行って大学受験が当たり前の空間に僕を入れたかったのだと思う。

それは的確な読みだった。

僕は本当になにも勉強していなかったので、ほとんど全ての大学に落ちた。ぎりぎり第3だか第4だかの志望に受かったのであった。なんで受かったのか今でもよくわからない。

そんな僕だって小学生の時は勉強が好きだったし、興味があって学んでいたからなにもしなくても成績が良かった。

しかし、自分にとっての学校というもののあまりの意味のなさにすっかり失望して、学校というシステム自体に参加する気がなくなっていた。その気持ちは今でも全く変わらない。自分が悪いのかと思ってみたりもした。なじんでみるよういろいろな努力もした。その上でやっぱり「僕にとっては学校は意味がない」と悟ったので、他の人はどうだか知らないけれど、僕にはあの時間はただ座っている苦痛を学ぶためだけのものだった。

あまりに長く我慢したので、そのトラウマで今でも僕はじっと座っていられない。体が学校の地獄の時間を思い出してしまってクラクラしてくるのだ。

ちょうど地元の中学校がヤンキー(笑)でいっぱいになり荒れていた時代だったから、母は、そのヤンキー達との縁もそのまま将来に持ち上がったらどうなってしまうんだろうと思ったのかもしれない。しかし学校が荒れていてヤンキー達が派手な動きをしてくれたおかげで、僕は目立たずに居眠りしたり読書をしたり、静かに好きなことをしてなんとか授業を乗り切っていたのだった。

結局私立の自称進学校(笑)に進むことになったけれど、2年で退学したし、やっぱり学校なんてロクなもんじゃないなと思った。

大学は、高校までとはまた違ったシステムで強制される部分がほとんどないので気楽に通えている部分はある。まあ自堕落すぎて留年しそうなんだけれど。

 

留年しないように後期は頑張ります応援してください、ではまた。

 

 

 

優柔不断

昔からこれだけは変わらないなっていう事がいくつかあるんですけど、その中の1つがこれですね。優柔不断。ほんとに、決められないんです。昨日も服を買いに行ったんですけど結局決められずに4時間くらい店内ウロウロして帰りました。僕ほど時間を無駄にしてる人そうそういないと思います。こんな事してるくらいなら鼻ほじってた方がマシです。たぶん。鼻の中綺麗になるし。まあ1番困るのは外食の時ですね。メニューが決められなくて決められなくて本当に困るんです。中学生の頃よく行っていたラーメン屋があるんですけど、メニューが二種類しかないのに延々悩んでましたからね。渋々決めて頼んだ後も、「あぁやっぱりこっちにすればよかったな」とか思ってましたからね。サイゼとか地獄です。美味しいし好きなんですけど、いかんせんメニューが多いのでね、大変なんですよ。まあ昔から優柔不断には苦しめられてきましたね。永遠のライバルだと思います。ところで皆さん知っての通り、僕陰キャなんですよ。陰キャの中でも特に陰要素が強い陰キャなので、人にプレゼントとかいうものをあげた事がないんですね。まあバカでもアホでも歳はとりますから最近やっと大学生になったんですけど、たぶん人に何か物をあげる機会って、あると思うんですね。いくら陰キャでも。その時なんかどうなるのか…想像するだけでも恐ろしいです。おそらく悩みすぎて鬱になると思います。鬱になって退学する未来まで見えました。見えましたね。はい。ちなみに今日は一度も改行しないチャレンジというのを地味に開催していたんですけど気付きましたか?読みづらいだけですね。やめます。

ではまた。