まいてぃのにっき!

絶起、落単、留年

怒り

中学生の頃、俺は攻撃的な人間だった。

竹を割ったような性格で物事をはっきり言う、そういう奴だった。今でももちろんそうである。嫌な事は嫌だと言うし、間違っていると思った事は間違っていると言う。

ただし、今はニコニコしながら「イヤなんだけどな〜」と言う。それはなるべく相手と対立しないためにだ。「ごめんね」と謝りながら「イヤ」と言う。だけど昔は違った。怒って「イヤだ」と主張した。強くイヤだと主張した。なにかこう怒りのパワーにまかせて「イヤだ」って言わないと、「イヤだ」って主張できなかったからだ。

なぜだろう。俺は主張するとき、いつも怒りのパワーが必要だった。自分を主張するときになぜか怒っていないと力が出なかった。だから、自己主張するときはいつも怒っていた。そういう人、たまにいるでしょう?俺はそういう奴だった。同じことを笑いながらできるはずなのに、俺は怒っていた。そういう自己主張しかできなかった。弱かったからだと思う。

もっと前、小学生の頃は、自己主張すらできなかった。だからいつも苦しかった。

思っている事が伝えられない。思っていることを言ったらバカにされると思った。「お前にそんなことができるのか?」って言われるのが怖くて「やりたい」が言えなかった。やってみたいな、って思うことでも「やりたい」って言えなかった。ほしくても「ほしい」って言えなかった。「ほしい」なんて言ったら、身の程知らずってバカにされそうで怖かった。「好きになって」って言えなかった。そんな事言ったら「ごめん」って謝られそうで怖かった。だから「俺は好きだけど、別に好かれなくても平気」みたいな顔をしていた。本当の気持ちがいつも言えない。自信がないから。

そういう時期を経て、勉強やら部活やらでちょっとだけ自信をつけたとき、俺は怒って自己主張する人になっていた。強い自分に憧れていたけど実はまだ弱虫だったんだろう。だから自己主張するときに相手を威嚇するようにしないとできなかったんだと思う。いつも、何かを主張するときは攻撃的で、それが結構カッコいいと錯覚していた。

人から攻撃されると過剰に反応した。人から何かを言われるのが嫌で嫌でたまらなかった。人の意見が全く聞けなかった。よもや非難されたりしたらその100倍の言葉を費やして相手をやり込めようとした。アドバイスされるのも嫌いだった。「ここはこうした方がいいんじゃない?」と言われると「自分でもわかってたけど、なかなかできなくて」みたいな事を言った。

そして心の中で「お前に言われなくてもわかってんだよ」と呟いている。すごく嫌な奴だった。ダメな自分を認めることがちっともできなかった。他人には攻撃的なくせに、他者の自分への攻撃は許さなかった。攻撃を仕掛けてくる人とは徹底的にやりあった。言葉で、時には力で。そうしないと自分の心が保てなかった。

徹底的にやりあわないと、相手の言動がいつまでも心にオリのように残る。相手の事が気になってたまらない。腹が立ってたまらない。そのことをいつまでも忘れられない。1日に何回も相手の顔や言葉を思い出す。そして思い出すと胸のあたりがカッと熱くなる。

まったく別のことをしている時でも、自分を非難したり自分のやり方に文句を言った相手の事をふいに思い出す。そして顔が火照ってくる。そうすると気分がざわざわして、なんだか集中力がなくなってしまう。一晩寝ても忘れない。つまらない事でも相手ときちんと決着をつけるまで忘れられない。

だから俺はなるべく決着をつけた。相手を呼び出して「この間のことなんだけど」と言って自分の気持ちを伝え、その上で自分も悪かったと伝え、相手からの謝罪を受けないと納得できなかった。だけど、いつもその時にものすごく巧妙に相手の弱みをついて相手を傷つけて自分を慰めたりしていた。

これが中学生の俺だった。楽しいこともいっぱいあったけど、なんだかしんどかった。それはいつも誰かの言葉に傷ついて、そして腹を立てて、憤慨して、自分を見失っていたからだと思う。

 

俺が心の安定を手に入れたのは(手に入れてるか?)、ある夢だった。

夢のお告げ…なんて書くと、非科学的な怪しい奴だと思われるかもしれないけど、夢は結局自分なのだ。自分の頭の中で、ポケットに入れたイヤホンのように絡まった感情やら体験やらが絡まり合ってそれを夢という形で見せてくれているだけなのだ。だから、誤解を恐れずに書いてしまおう。

人生も何もかも嫌になって、1ヶ月くらい家を飛び出した時に公園で見た夢だ。夢の中に少し年上に見える青年が登場する、その青年がこんなことを言う。

「やってくるものを受け止めながら手放していけばいいんだよ。どんなものでも自分にやってくるものはプレゼントだ。受け止めて手放せばいい。そうしていくと、受け止めた衝撃で流れが起こって自然にあるべき方に流れていく。自分でありながら、でも流されろ。自分の外から来るものは、全部、プレゼントだ」

目が覚めて、なるほどなあ、と思った。その青年は他にもこんな事を言っていた。

「どんな考え方もあっていい。間違いってのはない。どんな考え方も世界にグラデーションを作るためにある。どんな考え方も世界に濃淡を与え、世界を立体にする。だからどんな考え方も世界を描く点描の点だ」

おそらく寝る前にリチャード・バックのイリュージョンを読んだ影響もあったかもしれない。いつか書くが俺の世界で1番好きな本である。(暇なら読んでね)

 

人によっては、「人の意見を聞きすぎると潰される」と言う。だけれども、やってくるものが全てプレゼントだとしたら、そして俺がいつも自分の中心に戻ってこれれば、これらの意見は俺をどこかへ導いているはずなのだ。そして、俺は世界の濃淡を作る点描の点の、その1つ1つに日々、触れているのだ。その点が描く世界とはどんな世界なのだろう。

まだ、近視気味の俺にはよく見えない。

 

 

 

 

 

 

 

最後のまとめかっこよくね?

 

 

 

 

 

わかる🤚

 

 

 

 

 

 

 

ではまた。