まいてぃのにっき!

絶起、落単、留年

高校受験

中学三年生のときの僕は地元の仲のいい友達と一緒に公立の高校に行きたかった。遊んでばかりいてまるで課題をしなかったので、成績もよくなかった。

バスで学校に通うのもめんどくさいから絶対に嫌だった。

僕には立派な愛車の「チャリンコ」があり、それで通える範囲外に学校があるなんてありえないと思っていた。

そういうことを親に順序だてて言える子供だったらよかったんだけれど、当時の僕は親の言うことにああだこうだ意見するくらいなら、それで親を怒らせるくらいだったら、黙って受けたほうがいいと思うような弱気な少年だった。(もしくはそういう事に寛容な親であればよかった。)

両親は、特に母は僕のあまりの勉強のしなさに動揺して、今ならまだ学力に余裕がありそうだから、行けるだけ上の私立校に行って大学受験が当たり前の空間に僕を入れたかったのだと思う。

それは的確な読みだった。

僕は本当になにも勉強していなかったので、ほとんど全ての大学に落ちた。ぎりぎり第3だか第4だかの志望に受かったのであった。なんで受かったのか今でもよくわからない。

そんな僕だって小学生の時は勉強が好きだったし、興味があって学んでいたからなにもしなくても成績が良かった。

しかし、自分にとっての学校というもののあまりの意味のなさにすっかり失望して、学校というシステム自体に参加する気がなくなっていた。その気持ちは今でも全く変わらない。自分が悪いのかと思ってみたりもした。なじんでみるよういろいろな努力もした。その上でやっぱり「僕にとっては学校は意味がない」と悟ったので、他の人はどうだか知らないけれど、僕にはあの時間はただ座っている苦痛を学ぶためだけのものだった。

あまりに長く我慢したので、そのトラウマで今でも僕はじっと座っていられない。体が学校の地獄の時間を思い出してしまってクラクラしてくるのだ。

ちょうど地元の中学校がヤンキー(笑)でいっぱいになり荒れていた時代だったから、母は、そのヤンキー達との縁もそのまま将来に持ち上がったらどうなってしまうんだろうと思ったのかもしれない。しかし学校が荒れていてヤンキー達が派手な動きをしてくれたおかげで、僕は目立たずに居眠りしたり読書をしたり、静かに好きなことをしてなんとか授業を乗り切っていたのだった。

結局私立の自称進学校(笑)に進むことになったけれど、2年で退学したし、やっぱり学校なんてロクなもんじゃないなと思った。

大学は、高校までとはまた違ったシステムで強制される部分がほとんどないので気楽に通えている部分はある。まあ自堕落すぎて留年しそうなんだけれど。

 

留年しないように後期は頑張ります応援してください、ではまた。