まいてぃのにっき!

絶起、落単、留年

でんしゃ

知ってる人も多いと思うんだけど、去年、丸々一年ニートしていた。一応受験生という値札を背中に貼られてはいたが(そういうイジメとかではなく文学的表現(笑))高校も行かなければバイトもしておらず、受験勉強もろくにしていなかった。近所の図書館に引きこもって本を読んだり、コンビニのWi-FiTwitterする日常。単調で、つまらなかった。(勉強すればいいだろとかいう野暮はやめてください)。

そんな中、たまの楽しみだったのが電車だった。目的は何でも、なんとなく乗りたいとかなんとなくあそこ行きたいとかそんなしょうもないこと。電車が好きだったのである。撮り鉄(?)とかとは違って、特にどの車両が好きとかはないし、そもそもそんな鉄道に関する知識などないに等しかった。ただ、ガタンゴトンと走る音を聞きながら揺られているのがどこか心地よく、それだけのために運賃を払うマヌケな青年だった。

ところがある日、電車に乗っている時、なんの前触れもなく、「このままこれに乗っていたら、自分は一体どこまで運ばれていくのだろうか」という疑問が、一瞬胸をよぎった。素晴らしく晴れ渡った土曜日の早朝だった。空には一点の曇りもなく、連なる家々の屋根は朝日を受けて輝き、かばんの中身(勉強しているアピールで単語帳とか詰めてた)は振動に合わせてカタカタと平和な音を立てていた。路線地図を見上げ、自分が降りるべき駅を探し、その駅名を声を出さずに唱えた。自分の降りる駅は決まっている、何度そう言い聞かせても、一体どこまで、と問いかけてくる声の響きは止まなかった。路線地図に描かれた線路は幾重にも枝分かれしながら長く連なり、聞いたことも読み方もわからない駅名が延々と続いていた。そのうち体が硬直し、生唾がこみ上げてきた。指先が冷たくなって震え、冷や汗が流れ落ち、息をどう吐き出してどう吸い込んだらいいのか訳が分からなくなって、視界がどんどん狭まっていった。気づくと目の前が真っ暗になり、子供の頃に風邪をひくとよく見た悪い夢が、脳裏を支配していた。

どうにか途中下車し、ホームのベンチに座り込んで呼吸が元に戻るのを待っている間、何本もの電車が目の前を通り過ぎていった。再びこれに乗るのはどう考えても無理だと思われた。仕方なくホームを降り、改札を出て、何時間もかけて家まで歩いて帰った。そうしたことが幾度か続き、電車とは次第に疎遠になっていった。

好きな時に降りられず閉じ込められてしまう恐怖、とは少し違っていた。耐えられないのは、放っておいたらどこまでも、自分の知らない果ての地まで連れて行かれるかもしれない、という恐怖だった。

とにかく、遠くに行くのが怖かった。今自分がいる地点からの移動は、それだけ危険に近づくことを意味した。その遠いどこかに何があるのか、もちろんはっきりとは言えなかった。ただそこでは、取り返しがつかないほどに不穏でおぞましい何かしらの予感が渦を巻き、いつでも自分を暗黒の底へ引きずり込んでやろうと待ち構えている。そのことだけは確かに感じ取れるのだった。

改めてよく考えてみれば、世の中は、遠くへ行くことの危険を知らせる暗示に満ちているではないか、と気づいた。南米へ移住した人々は約束とは違う痩せた土地しか与えられず、重労働を強いられた。内戦を逃れたポートピープルは嵐に遭い、人知れず海に沈んでいった。家畜列車に詰め込まれたユダヤ人はガス室へ運ばれた。登山家は雪山で遭難し、革命家は病で客死し、宇宙船は空中で爆発した。

にもかかわらず人は、尚も移動しようとするのだろうか。不思議でならなかった。

ここまで書いておいて恐縮なのだが、これ以上書くと鬱になりそうなのでやめることにする。我ながら闇が深い文章が出来上がってしまって戦慄していると共にフォロワーが減るんだろうなあと予知をしている。たぶん当たる。

ちなみに今は普通に電車に乗れる、というか好きである。電車ラブ。運賃さえ無料にしてくれたら1日のうち28時間くらい乗れる(乗れない)。

移動も好きだ。旅行とか。まあいずれ触れる事にする。今は少々めんどくさい。

暑いね。任意のフォロワーはアイスおごってください。それでは。